TIME,FLIES,EVERYTHING GOES

日々のこと、DJのこと、音楽のこと。

ヒーロー見参、そうでなくとも

ヒーロー、と聞いた時、あなたはなにを思い浮かべるでしょうか。一般的にヒーローとはそのまま英雄のことを指します。ぼくにとってもそれは同じことで、他の例に漏れず、ヒーローに憧れてきました。

小さな頃、ぼくのヒーローは「恐竜戦隊ジュウレンジャー」のブルー、トリケラレンジャー・ダンでした。少しお調子ものだけど、いざという時には人一倍の勇気で敵に立ち向かう、トリケラレンジャーはとてもかっこよかった。ああなりたいと思って真似して長い棒を振り回してーーーートリケラレンジャーの武器は槍、トリケランスでしたーーーーシャレにならない怪我をしたり、ハワイにまで連れて行ってもらってパワーレンジャーの子供用スーツを買ってもらって親を呆れさせたり。小さな頃のぼくの写真は、だいたい変身した後のトリケラレンジャーと同じポーズです。

少し大きくなって音楽を聴くようになると、ぼくのヒーローはバンドマンに移り変わっていきます。最初に憧れたバンドマンはブライアン・メイでした。フレディ・マーキュリーの声に負けないギター、かっこよかった。ブライアンが6ペンス硬貨をピックの代わりに使っていることを知って、お年玉でギターを買ったあと10円玉で弾いてみたりなんかして……当然ブライアンのような音が出るはずもなく。どっぷりと音楽に浸かり出すと、ぼくのヒーローはどんどん増えていきます。藤原基央カート・コバーン細美武士後藤正文……彼らのようになりたくて、それはもう真似をして、少しでも近付きたいと思ったものです。「ヒーローになりたい」そんな気持ちを持って、ぼくは大きくなりました。

 

そして大多数の人がそうであるように「どうやらぼくはヒーローではないらしい」ということに気付きます。

 

ヒーローというと大仰ですが、要するに「特別な存在になりたい」「今は違うかもしれないが、やがて特別な存在になりたい」「なれるに違いない」と無条件で信じることができるか、ということだと思っています。ぼくはその特別な存在を信じることができなくなってしまった、と言い換えることもできるでしょう。すなわちそれは、自分が凡庸な、ごくごく平凡な一般人であることを、認めることです。こんなことを言うと「そんなの当たり前だ」「小学生でもわかる」などと言われそうですが、ぼくはこれに気付くまでに随分時間がかかりました。

そうしている間にもぼくのヒーローはどんどん増えていきます。ぼくがやりたかったことを、そしてぼくができなかったことを軽々とこなし、脚光を浴びていく、ヒーロー。ぼくが救えないたった1人を、何百人も救っていく、ヒーロー。ぼくはおそらく、今後の人生で彼らのようになれずに、ごくごく普通もしくはそれ以下の人生を送っていくことになるでしょう。ぼくはヒーローになれませんでした。

 

だけど、ぼくはそれでも、ヒーローになりたい。

 

いや、もしかすると、ヒーローである必要はないのかもしれません。ぼくは、ヒーローになれなかったぼくを救うために、ヒーローになれなかった数多くの人々を救うために、ヒーローになりたいと、強く思うのです。変身できなくても、必殺技がなくても、特別な才能がなくても、誰かを救える人でありたい、そう思うのです。

自分でも矛盾した、滑稽なことを言っていると思います。特別な人になれないぼくは、それでも特別であるということを証明するために生きているのです。それが、誰かを救うことになるのではないかと思うのです。なぜなら、ぼくは、今までヒーローに救われたから。誰かの特別になることが、誰かの希望になることをぼくは知っています。ぼくがしていることか、あるいはぼくが息をしていることか、それが誰かの希望になったら、たぶんそれは、その誰かの希望である以上に、ぼくの希望です。ぼくが願ったことは間違いじゃなかったという証明なのだと、ぼくはそう思うのです。

 

一介のサラリーマンが何を訳のわからないことを、と思うかもしれません。だけどぼくはそんなことを考えながら、今より少しでも何かが変われ、何かが救われろ、そんなことを考えて、張り切ったり病んだらしながら生きている、というお話でした。