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オンリー ロンリー グローリー -ぼくが夢見りあむを嫌いな理由について

ぼくは、夢見りあむが嫌いだ。

 

世の中は、大別すると「見つかった人」と「見つからなかった人」の2種類に分類されるとぼくは信じている。無論、そこに至るまでの経緯はそれぞれあるとして、その経緯全てを飛び越えて、人から認められるためには「見つけてもらうこと」が必要だ。どんなに素晴らしい才能があったとて、それが「見つからなければ」存在しないのと同義だと思っている。しかし、仮にその才能が見つからなかったとしても、それを良しとできるかどうかが、いわゆる天才と凡人を分ける境目なのかもしれない。その分類で言うならば、ぼくはそれを良しとできなかった凡人だ。

 

小さな頃から目立つことが大好きで、何かと言えば前に出たがり。部長だの学級委員だの、少しでも目立つポジションに行くチャンスがあれば速攻で挙手。西にバンドを組むチャンスがあれば下手なギターを持ってボーカルをやらせろと言い、東に漫才をやる舞台があれば仲の良かった人気者を引きずってネタを書く。そうやって大きな声で「ぼくはここにいるぞ!」「ぼくを見ろ!」と叫んできた。そうして、ほぼ例外なく、ぼくは天才に負け続けてきた。負ける、というとまだ聞こえがいいが、ほとんどの場合は勝負にもなっていなかったように思う。部長や学級委員の投票はいつだって大差で負けるのが目に見えていたし、バンドではぼくよりかっこよくギターを弾く奴がぼくより上手い歌を歌い、漫才では地獄のようなスベり方で全校生徒を沈黙させた。そうしてぼくは、見事に負け犬根性だけを身につけて育っていく。それでもぼくが目立つことをやめようとしなかったのは、ひとえにぼくがぼく自身を諦められず、どこかでぼくのような者を倒してきた、そんな天才たちに一矢報いたいと思ってきたからに他ならない。ぼくのいる狭い狭い世界でなお、少しでも勝利したい、そんなバカなことを大真面目に考えているぼくが、いつか天才よりも褒められたい、認められたい。そんな気持ちだけが、ぼくをーーーーおそらくはぼくしかそう感じていないであろうーーーー戦いの数々に進ませたのである。滑稽な、あまりに滑稽な29年間。それでも、それがぼくを形作ってきたものだ。

 

そこに現れたのが、夢見りあむだった。専門学校にもなかなか行けず、承認欲求だけをぐるぐる膨らませ、ザコメンタルをすくすくと成長させ、オタクの前に現れた。そう、「承認欲求だけをぐるぐる膨らませ、ザコメンタルをすくすくと成長させた」オタクーーーーつまり、ぼくの前に。

 

だからぼくは、クソザコメンタルと「やむ!」の一言を振り回し、「オタク、チョロいな!」とナメたセリフを吐き散らし、なのにそれが面白い、とウケて、シンデレラガールズ総選挙では3位をかっさらって、数多くの声なしアイドル担当Pの怨嗟の声をよそにしれっと声と楽曲を手に入れ、はっきりと人気者の座を手に入れた、夢見りあむが嫌いだ。彼女の吐くセリフひとつひとつが、嫌いだ。なぜって、彼女の言葉は、もしかしたらぼくが言ったことのあるセリフかもしれないから。クソザコメンタルに開き直ったようなことを言いながら、自分が憧れたものを諦められずに、最終的にはそこで勝ち残った彼女の「チヤホヤされたい」は、ぼくが言ったかもしれない「チヤホヤされたい」と、同義かもしれないと思ってしまったから。そんなことを考えるぼくと違って、夢見りあむは彼女と同じような「やみくん」「やみちゃん」たちの、希望になったから。そして何よりーーーー他ならぬぼく自身が、そんな夢見りあむの快進撃に、救われてしまったからだ。もしかしたらぼくも、誰かの希望になれるかもしれない、なんて夢が、見えてしまったから、だ。

 

そんなぼくの大変ちっぽけな、そしてお門違いな嫉妬をよそに、夢見りあむはSSRのカードまで手に入れ、クソザコメンタルをぶら下げて快進撃を続けている。そんな夢見りあむのこれからの快進撃を見てーーーー多くの「やみくん」「やみちゃん」と同じようにーーーーぼくはまた救われ、きっとこう思うのだろう。

 

ぼくは、夢見りあむが嫌いだ。だけど、夢見りあむがこのままてっぺんを掻っ攫って、高らかに笑うところが見たい、と。