TIME,FLIES,EVERYTHING GOES

日々のこと、DJのこと、音楽のこと。

春が過ぎてなお-あるいは、どのようにぼくは1人アイドルに惹かれる5年間を過ごしたか

彼女は秋葉原のコンセプトカフェのような店舗で店員をしていて、ぼくはDJすらやっておらず、単なるコンカフェ通いのオタクであった。彼女が2回目くらいの出勤の時にたまたまぼくが店を訪れ、確か好きな音楽か何かの話をした時に「フジファブリックを聞いていた」という話になったのがきっかけで、ぼくは彼女を追いかけるようになった。

 

これはぼくにとって、生まれて初めてちゃんと「推した」アイドルの話である。

 

休みは大体秋葉原に通った。チェキも買った。プロマイドも買った。いつしか彼女からも認知されて有頂天になった。Twitterには彼女が推しであることを明記したら「初めて推しができた」と(リップサービスもそこにはあったかもしれないが)喜んでくれた時、ぼくはおそらくそれ以上に「そんなに喜んでくれるのか」と喜んだ。彼女を通じて知り合った他のオタクと飲みに行った。当時ぼくは14時-22時が定時の仕事に就いていたので、たまの深夜営業なんかで彼女が出勤すると知ると終電で秋葉原に向かい、朝までダラダラ過ごした。DJを始めたのもこの頃で、機材を買ったその足で彼女に会いに行き「おれ、これからDJやるから!」と今考えれば噴飯物の宣言をしたりもした。

それまでもアイドルは好きだったし、CDを買ったりもした。しかし「推している」と口にすることこそあれど、彼女に対するそれのレベルで実践することはなかったように思う。それはおそらく、自分が「推す」ことでそれが対象に何かプラスになっているという(極めて主観的な)実感がなかったかもしれない。ぼくが、ぼくのような者が、応援するというだけでここまで喜んでもらえるのか、という気持ちが、ぼくを1人の地下アイドルオタクとして完成させた。必ずしもぼくは「強い」オタクではなかったけれど、ぼくにとってアイドルを「推す」という行為は、楽しかった。社会に出て圧倒的な孤独感に苛まれたぼくにとって、それは救いであり、大袈裟に言えば生きがいだった。

 

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しかし、そこから彼女のアイドル人生は二転三転することになる。まず初めに、彼女は店舗を辞めた。そこから入ったグループが解散したり、あっという間にソロから別グループになったり、結局彼女は1人になって、ソロアイドルになっていた。一方のぼくは、始めたDJで少しだけ他のイベントに呼んでもらえるようになり、アイドル現場からは少しずつ遠ざかるようになる。彼女のライブにもなかなか足を運ばなくなり、DJにのめり込んでいった。

しかしそれでもーーあまりにも身勝手な話であるがーー彼女がぼくの「推し」であることに変わりはなかった。ぼくが仕事のストレスから休職することになった時も「一緒に頑張ろう」と言ってくれたこと、彼女が様々なステージで踊り、歌っていること、それは確実にぼくが辛い気持ちになったとしても「あの子もどっかで頑張ってるんだから」という気持ちを呼び起こす鍵となっていたからだ。距離と、頻度と、ほとんど全てが変わっているのに、その気持ちだけは今でも変わらずにある。

 

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彼女がアイドルを引退したのは、去年の3月のことである。ぼくはほとんどライブにも足を運んでいなかった。もはや推していると胸を張って言えるかもわからない、そんなオタクだったが、とにかく行かなければならない。もし彼女が言う通りぼくが最初を知っているのなら、最後もちゃんと見届けなければならない。そう思った。朝一で名古屋から駆けつけた友達と朝飯を食べ、ライブハウスに行って、いつもいる人たちとヘラヘラ笑う。当たり前のようなその光景がいやに懐かしかった。あとは彼女が出てくるのを待つだけの、いつも通りで、いつも通りでない光景を、ぼくは眺めながら話し続けていた。

 

ライブはつつがなく進行するセレブレーションだった。彼女のこれまでアイドルとして辿ってきた色々な道のりを追体験するセットリストーーー大半は彼女の曲ではなかった。彼女は地下アイドルだ。オリジナル曲など、片手で足りる。しかしそれでも、その日に限っては、彼女の曲なのだ、と思った。かつての同じグループにいたアイドルも駆けつけていた。隣にいた、昔からよく来ていたオタクが嗚咽を漏らした。彼には彼の追いかけてきた道のりがあって、それを最後に彼女が全て見せてくれたのだろう。端から見れば奇妙な光景だったかもしれないが、今でもぼくの頭にその光景が焼き付いて離れない。

 

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大抵の地下アイドルと同様に、彼女のライブが終わった後にも物販がある。それは最後のライブだからと言って変わることはなく、それぞれのオタクが思い思いのアイドルのブースに並び、チェキやグッズを買い漁っていった。ぼくも同様に他のアイドルの列に並んでいく。共演していたアイドルも知った顔だ、ぼくが並ぶと「お疲れ様」「いいライブだったね」などと話しかけてきた。それはまるで葬儀のようだった。アイドルの死をーーー彼女は卒業後にタレントに転身することを発表していたがーーー何人も"看取って"きたオタクたちにとって、ある意味日常的な風景ということもできる。悲しみとも寂しさとも言えない感情で、ライブ後の雰囲気を感じながら、もうステージに上ることのないアイドルのことを思うのかもしれないーーーなんてことを考えていたら、あっという間に次はぼくの番になって、「お疲れ様」なんてことを話しながら、最後に動画を撮った。ステージで泣いた彼女は、またぼくの前で泣いた。それを見てぼくも、泣いた。全然ライブにも行かなかったくせに。Twitterだって全然リプライもしなかったくせに。周りのオタクの方が、よっぽどライブに行っていて、彼女に安心を与えていて、ぼくはその足元にも及ばないくせに。ぼくは一丁前に、顔だけはへらへらと笑っていながら、泣いた。きっとよそから見れば、ぼくの涙はあまりに滑稽であったことだろう。それでも、泣かずにはいられなかったのだ。

 

誤解を恐れずに言えば、彼女は売れていたアイドルではない。徹頭徹尾、彼女の活動は地下アイドルであったと思う。かたやぼくも、彼女を推している間にDJ活動が進んだとはいえ、所詮は一介のサラリーマンである。そう考えると、これは「地下アイドルに冴えないサラリーマンが入れ込んで、最後に泣いた話」でしかないのかもしれない。だけどぼくは思うのだーーーこの世の中に、他者の心を思い切り鷲掴んで、何かの影響を与えて、笑顔にできる存在が、果たしてどれだけいるのだろうか、と。だから、大げさに言えば、彼女のようになりたかった。誰かの前に立って、笑顔や、涙や、そういう感情を、誰かに持たせることのできる存在になりたかった。ある意味ぼくがDJを始めたのも、そうした感情だったのかもしれない。どんなに小さな存在であったとしても、それを最初から最後まで全うしてステージを降りた彼女は、間違いなくアイドルであった。

 

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彼女は今、タレントをしている。時々何かのイベントをしているが、ぼくはあの最後のライブから、一度も彼女とまみえたことはない。今後会う機会というのも、おそらく片手で足りる程度だろう。なんとまあ、薄い出会いであったことか。

 

だけど。

 

だけど、ぼくは今でも、アイドルであった彼女に憧れている。アイドルはあくまで偶像でしかないけれど、そうした偶像を最初から最後までやりきった、あのかっこいい姿に、ぼくは今でも追いつきたいと思っている。別に、「アイドル」になりたいわけじゃない。だけど、彼女が残してきた人々が、何かの形で生きているのを知っている。そうやって誰かの心に何かを残せる存在になりたいと、ぼくは今でも思っている。そうやって日常を送ったり、DJをしたり、とにかく毎日を生きている。

 

だから、彼女がいてくれたことに、ぼくは今でも感謝するし、いつか彼女のような存在になれる日までーーー彼女のいないステージを見ながらーーーぼくは生きていくのだ。