TIME,FLIES,EVERYTHING GOES

日々のこと、DJのこと、音楽のこと。

ずっと諦めてきた人生だったなあ、と今になって思うのだ。

求職中の今、こうして人生を振り返ってみると、後悔ばかりが先に立つ。「あの時こうしていれば あの頃に戻れれば あの頃の僕にはもう戻れないよ」なんて歌っていたバンドに、ぼくもなれると思っていた。だけどそれは大きな勘違いで、あの頃毎日弾き続けていたギターは、とっくに埃を被った部屋のオブジェになっている。好きな女の子は大体ぼくの友達と付き合っていったし、続けてきたサッカーは視力が悪くて中学生の時に辞めた。行きたい大学は数学が苦手で、ぼくなりの努力はしたけれどどうしても成績が上がらずに違う私大に行った。そんな生活をしているものだから性格もいい方ではなく、人を羨んで育ってきた。社会人になって出世しようかなんて思っていたが、どうにもこうにも上手くいかずに、やりたいことを諦めて、気がついたらぼくは30歳になろうとしている。ぼくはギターヒーローでもなければ、スター選手でもない、単なる凡人あるいはそれ以下の無能であったことを、毎日証明しているような気分になる。

必要な挫折であった、と笑えるのは、挫折を乗り越えた人だけだ。挫折の只中にいる人にとって、挫折は挫折でしかなくて、何かを得たいと思いながら何も得られない自分に絶望するのが現実である。まさに今のぼくは挫折の中にいて、ただただ折れてしまった心を無理やりテープで補強して生きる、そんな日々を繰り返しているここ何ヶ月かだ。

だけどそれでも、ぼくは諦めたくないなあと思う。大したこともできていない今だから、色々な人がぼくに優しくしてくれる。資本主義が基本の社会において、無産層であるぼくは間違いなく価値がない。それでいてなお、ぼくの良い所とやらを見つけて、そこにスポットライトを当ててくれる人がいる。こうありたい、というビジョンにぼくがとても届いていないことに誰もが気付いているのに、そうなれる、と励ましてくれる人がいて、そうなるためのヒントを与えてくれる人がいる。そんな人と会う度にぼくは、まず真人間になる、という、極めて小さな現実を諦めてはいけないのだなあ、と思うのだ。ぼくは自分を極めて矮小な、ゴミクズのような男だと定義している。それ故に、虚勢を張って生きている自負がある。ぼくは、人間の底辺だ。それでもぼくと一緒にいてくれる人がいるから、じゃあ諦めたら申し訳ない、とぼくは考えるのである。

結果が出ていないから、この文章も所詮クズの戯言である。だからこれを、少しだけ結果を出したクズの戯言にするために、頑張らなくてはいけないと、ぼくは30になる今頃になって、ようやく思うのだ。